松井君の引退セレモニー
今日は、私にとっても記念すべき日?といいますか、一区切りついた
日となりました。
2002年の日本一のあと、松井君の大リーグ挑戦表明、そして、ファンフェスタ
で最後のファンへのメッセージを東京ドームで観ました。
あの時は、涙無しには見れませんでした。
私は泣き、一緒に行った友達はもらい泣きして泣いていました。
そして、2004年の凱旋帰国で開幕戦が日本で行われ、松井君のヤンキースのユニフォーム
姿を見て、HRも観れました。
あのときの地鳴りのようなドームの歓声、忘れません。
あのときのような声援は、もう二度と感じることはないんだろうなと思いました。
正直、私は長嶋氏のことは興味がないのですが、ただ、父と同じ脳梗塞を
おこして、回復の差はやっぱり、発症後の発見の早さというのを改めて実感しました。
父は、長嶋氏と違い、両手動きますし、言語は少々不便ではありますが、話せることは
話せますから。
まあ、痛々しい姿だったのですが、同じ病気をしている人たちには、励ましに
なったのかな?と。
この方、選手としてはすばらしかったようですが、監督としてはイマイチ。
そんな中で唯一の彼の実績は、松井君を引き当てた(最後の残りくじです)こと。
でしょうかねえ。
松井君はできた人間の人で、長嶋氏の3歩後を歩くような謙虚な心の持ち主。
そんな彼が本当に好きでしたね。
松井君が去ってから、彼のようなスーパースターは、ジャイアンツは出ていません。
きっと、もう出ないのでは?と思っています。
だからこそ、彼が監督になってぜひとも育ててほしいと。
まずは、地道にコーチやヘッドコーチ、打撃コーチ、二軍監督、助監督と
ステップアップしていってほしいですね。
ジャイアンツの55はやっぱり、松井君しかいない。
太田の背番号はやつには重過ぎる。
背番号変えてあげた方が呪縛から解き放たれるのでは?